kenkostyle2050’s blog

『世界の人々を勇気づけ、平和と豊かさに貢献する』

戦国武将の抽象度は高かったのか・・・?

【その他:記事59】

戦国ドラマとか・・・見て、いつも思うことがある。

有名な戦国武将は『抽象度』は本当に高かったのか・・・?と。

全国統一を目指すぐらいだから、絶対高かったのだろうとは思う・・・。

でも、何で、多くの人々を無駄死にさせるような戦に明け暮れたのだろうか・・・?

戦を避けて、多くの人命を守ったうえで、平和を目指せなかったのか???

きれいごとか? 周りの意識が時代柄、そうでないから、まずそういう輩を倒してからでないと、その夢は実現しなかったからか???

夢自体が、自分自身が、多くの土地を平定することだったからなのか・・・?

心を痛めながら、戦に明け暮れ、最後には、本当の平和を目指していたのか・・・?

戦をしても、最前線の人間は、どんなに訓練・稽古を積んでも、何人殺しても、いずれの無駄死には明らかに見えてしまっている。

相手を倒しても、自分の軍も犠牲を出さないわけがない・・・

一人一人の生命を、自分の生命と同じようにいたわり、大事に思い、少しでも犠牲の少ない方法を選べなかったのか・・・??

選んでないはずないが、もっと言うと、相手の犠牲者も少しでも少ない方法はほかになかったのか・・・・・・・・・・・?

もっともっと先の時代を想像して行動できる『抽象度』の抜群に高い武将はいなかったのか・・・・?

多くの犠牲のもとに、戦国武将の名声が成り立っていたのは間違いない・・・。

どうも自分は、戦国武将よりも、最前線で槍をもって、突進してる家来?の心中を想像してしまい、痛々しく思ってしまうし、戦に明け暮れていた時代の憂いを感じてしまう・・・