戦国武将の抽象度は高かったのか・・・?
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戦国ドラマとか・・・見て、いつも思うことがある。
有名な戦国武将は『抽象度』は本当に高かったのか・・・?と。
全国統一を目指すぐらいだから、絶対高かったのだろうとは思う・・・。
でも、何で、多くの人々を無駄死にさせるような戦に明け暮れたのだろうか・・・?
戦を避けて、多くの人命を守ったうえで、平和を目指せなかったのか???
きれいごとか? 周りの意識が時代柄、そうでないから、まずそういう輩を倒してからでないと、その夢は実現しなかったからか???
夢自体が、自分自身が、多くの土地を平定することだったからなのか・・・?
心を痛めながら、戦に明け暮れ、最後には、本当の平和を目指していたのか・・・?
戦をしても、最前線の人間は、どんなに訓練・稽古を積んでも、何人殺しても、いずれの無駄死には明らかに見えてしまっている。
相手を倒しても、自分の軍も犠牲を出さないわけがない・・・
一人一人の生命を、自分の生命と同じようにいたわり、大事に思い、少しでも犠牲の少ない方法を選べなかったのか・・・??
選んでないはずないが、もっと言うと、相手の犠牲者も少しでも少ない方法はほかになかったのか・・・・・・・・・・・?
もっともっと先の時代を想像して行動できる『抽象度』の抜群に高い武将はいなかったのか・・・・?
多くの犠牲のもとに、戦国武将の名声が成り立っていたのは間違いない・・・。
どうも自分は、戦国武将よりも、最前線で槍をもって、突進してる家来?の心中を想像してしまい、痛々しく思ってしまうし、戦に明け暮れていた時代の憂いを感じてしまう・・・